いわしのむれ

はきだめ

通学途中である。同じ時間でも、車両によっては座れることに気づいた。ラッキーである。

 

さて、修士課程二年目の春学期が終わろうとしている。前回の更新から実に七ヶ月経った。口頭発表を一度、論文を二本書いた。この実績に、自分の実力が伴っているのかは未だにわからない。同じように博士課程に進学する同期たちは非常に優秀で、自分だけがふわふわと地に足が着いていないような気がしている。彼らが学会で発表するたび、論文を執筆して研究誌に掲載されるたび、私は焦る。比べても仕方ないのだが、自分のできることをするしかないのは分かっているのだが、それでも焦る。自分の研究はこれで正しいのか。そもそも、自分の生き方はこれで正しいのか。最低でもあと三年、学生である。金を稼ぐこともできない。やりたいことはある。ただ、これで正しいのか。研究は楽しい。楽しいが、苦しい。追い詰められ、周りと比べ、何か書き上げてもまた次の課題を探し、考察する。終わらない。研究は終わらない。休みもない。休めば焦る。周りの実績に焦る。休めば焦るが、休まずにはいられない。もたない。こんな生活を、4月から毎日している。社会人生活がどれほど大変なものか、私にはわからないが、きっとこの生活も、客観的に見れば、わりかししんどいものなのではないか、と最近思う。しかし金を稼ぐことはできない「まだ学生」という周りの評価と、自分の今の生活の苦しさに報われなさを感じてしまう。社会に目を向けて金を稼ぎ、働くべきだったのではないか。今更もう戻れない状況になった今、そのようなことを朝朝暮暮考える。こんなことを毎日考えるのだから、私は今の生活が向いていないのではないか、とも思う。

それでも昨日、同じように悩み、涙を流した同期の彼をみて、なんとかなんとか頑張ろうと思った。誰でも悩む。彼は「研究だけでなくて、自分の今の生き方に、なんの価値もないように思える。死んだ方がましだとすら思える」と言って泣いた。まあ私というサイコーな彼女がいながら死ぬのはマジでもったいないと思うが、誰もが悩むのだ。私が彼の実績に対して焦っていたように、彼も私の実績を見て焦っている。そういうものか。彼女という贔屓目でなく、彼は優秀な学生で、立派な研究者になれると思う。それでもやはり不安なのだ。私はこの事実にとても安堵した。よかった〜。私だけじゃないのか。みんな不安か。そりゃそうか。大学院生の私たちだけでなく、若者は、まだまだ生きていくものは、多かれ少なかれ、みんな悩むか。そりゃそうか。ちょっと楽観的になれてしまった。

もうちょっとがむしゃらに勉強して、もうちょっと必死に頑張ってみようと思う。きっと今の実績に実力か本当に伴っているかなど、今後数年だけでは分からないだろう。必死にやれば、どこかで報われるだろう。頑張ってみよう。