いわしのむれ

はきだめ

今年のこと

 一年が終わる。怒濤の一年であった。

 まず大学院に進学した。修士課程になった。私はつきあっていた彼氏と結婚するつもりでいたから、二年間頑張って勉強して、就職活動をして、文学を生涯の趣味として、彼に従って全てを捨てて関東に行くつもりであった。もう一年ほどずっとそれが私の人生の全てだと信じて疑っていなかった。いや、信じて疑っていないふりをしていた。「文学は所詮趣味だろ」という彼の言葉に、私は無理矢理うなずいていた。必死で研究しても、それが辛くて辛くてたまらないのにめちゃくちゃ楽しいということにも目をつぶっていた。私の人生は彼に捧げるものだと思っていた。もちろん不安はあった。地元にはとても大事な友人がいる。少ないけれど、本当に生涯ずっと一緒にいたいと思える友人だ。家族もいる。多少過保護だが、大切な家族だ。それを全て捨てて、仕事も捨てて、彼ただ一人だけを頼りにして、知らない土地へ行くのは。依存先が彼しかないのは、不安だった。彼の就職が決まり、来年から関東に行くのが決まってから、不安はどんどん大きくなった。だから不安をぶつけてみた。そうしたら振られた。私の二年半が数十分のLINEで終わった。

 私はなんのために生きていたのか。私の生きる価値はどこにあるのか。彼氏に捧げる人生だ。しかし彼はいなくなった。じゃあ私は生きる価値がないのか?生きる理由はどこにあるのか。別に死にたいわけじゃないけれど、何を人生のよりどころとして生きていくのか。

 私のやりたいことは何だ。

 学部の四年間、私はなにも学ばなかった。正直、何にも心が惹かれない。好きな人ができて、その人の事ばかり考え、その人が喜ぶこと、その人が不快にならないことばかりを考え生きてきた。振り返ればそんなことばかりであった。私自身が私自身のために何かをしたいと思ったことがなかった。習い事はした。空手も、茶道も、水泳も、ピアノも、「やりたい!」と親の顔を伺いなら、やる気のある自分をその場しのぎで見せて、結局やらない、やる気が起きない、そうして失望される。そんな人生だった。つまらない人生だった。人を好きになって心を悩ませてばかりのつまらない人生だった。結局何一つ自分のものにならなかった。そのことが楽しくて、それのためなら辛いことも乗り越えられる、それを得られるなら、どんなことも頑張れる、何かを犠牲に出来るなどと思ったことがなかった。それよりも、私には恋人が全てだった。でも、私はなんの中身もない、薄っぺらいつまらない人間で、結局そんな人間を、結局みんな置いていく。私が二年半本当に大好きだった人はずっと前を向いていた。ずっと私を見ていなかった。ずっと自分の人生の、自分の大切なものを見つめて生きていた。だから、私を置いていった。私には結局何もないということに気づいたのだろう。二年半かけて、私に何の価値もないことに気づいたのだろう。

 でも私は古典文学が好きだった。思い返せば初めて買った本も百人一首の本だった。今でもずっと読み返すほど和歌が好きだった。自分に到底詠めないような三十一文字を並べる人々を心底うらやんでいた。一千年前の彼らがどんな場所で、何を思い、それを後世に伝えようと考えたのか、知りたかった。知りたいだけではだめだろうか。

 十一月に、研究発表をした。規模は小さいが、初めての研究発表だった。私は自分の研究が、周りの人々と比べてどの程度のレベルにあるのか全く分かっていなかった。先生にも「初めての発表だからまあ、失敗しても気にせずやりなさい」と、あまり期待はされていなかった。それでも、誰もやっていないことだった。小さいが初めての発見もした。だからとりあえず、夢中でやった。自分で設定した仮説が、調べて行くにつれてどんどん否定されて、終わりが見えず嫌になった。けれど続けた。だってめちゃくちゃ楽しかった。どんなに辛くても死ぬほど楽しかった。何もかも全て忘れて没頭できた。おかしな話、この世に恋愛以上に楽しいことがあったのだと初めて知った。

 そうしたら、研究発表が教授に認められた。

 私の人生、ここだろう。やっと見つけた気がした。

 彼に振られて、教授に認められて、本当に、おおげさだけれど、本当に、生きてていいよって言われた気がした。研究を、文学を好きでいいのだと、なんだか許された気持ちになった。

 私は誰か、人を好きにならずにはいられない性格なのだと思う。その人のことを考え、拒絶されるのを恐れ、顔色をうかがい、のめりこんでしまう。それはこれからも続く、生きている限り続く。それはもう仕方ないことだと諦めよう。ただ、研究をしている間だけは、それを忘れられる。人間以外の依存先が私にはある。それでいいような気がする。

 いろいろな人と出会った。文学を好きで、研究が好きで、自分のやりたいことに志を持って挑戦している人は皆かっこいい。

良い一年だった。ここまで2019字!